鈴木常三郎保教
 〜名品はここに 北野神社・銚子港神社・香取神社


北野神社の狛犬

北野神社(都内文京区春日1-5-2)は牛石の伝説から牛天神とも云われましたが、現在は北野天神と云います。
拝殿前の狛犬の建立は文化六歳巳五月吉日(1809)
石工は小石川柳町の名工 鈴木常三郎保教、奉納は坂通若者中です。
分類では江戸足上げ両子と云うタイプになりますが、右の子獅子は乳をくわえながら、なんと親の真似をして足を上げていると云う念の入りようです。
また左の子獅子は親の背中に張り付いて元気良く遊んでいます。
江戸時代は流行病で亡くなる子供が多く、その無事成長を祈る意味で江戸末期になると子獅子にポイントをおいた狛犬が多くなります。この狛犬はその代表的なものです。(山田敏春)

  → 2004.8 狛犬の杜43号「江戸名所図会狛犬巡り(その十八)」より抜粋


   吽像の微妙に上げた足が作る空間が素晴らしい!                    写真:阿由葉


銚子港神社の狛犬

房総(千葉県)には江戸期に造られた江戸石工の狛犬が数多く現存しますが、ここ銚港神社(千葉県銚子市馬場)の狛犬はその代表的なものです。


銘は「奉献 江戸本小田原町 文化四丁卯年四月吉日」「石工 常三郎」。
奉納者は佃屋・鯉屋・伊勢屋・亀崎・伊丹屋・米屋などの屋号を持つ江戸の商人達です。
なお銚子港は利根川の付け替えにより東北の米や物産の重要拠点となり同時に地元の鮮魚・醤油・干鰯を江戸に出荷し繁栄しました。
北野神社(都内文京区春日1-5)の狛犬(奉納文化六歳巳五月吉日)の作者を小石川柳町に住む鈴木常三郎保教と云います。
同じ常三郎でもあり狛犬の顔つきも似ているし同じ人であろうと思われます。
尾の下った狛犬が初めて造られたのが明和元年(1764)、この時は流行らずに終わっりました。
文化六年(1809)に再び造られて流行りだすのですが、銚子港神社の尾下り狛犬はそれより2年も前に造られています。
江戸と銚子の文化的距離は現代人が思うほど遠くなかったようです。(山田敏春)


→ 2014.4 狛犬の杜100号「江戸狛犬と地名27」より抜粋



香取神社の狛犬 〜残念!江戸の狛犬史に残る名品だったが…

香取神社(江東区亀戸三丁目)の先代狛犬は戦後に頭部を壊されました。
もし完全な状態で居れば江戸の狛犬史に残る名品だったことと思われます。


銘は
「奉納 文化二乙丑歳三月吉祥日(1805) 本間伊十郎 他八名」
石工銘は「礫川 石工常三郎」です。
江戸に於いて狛犬が最初に尾を下げたのが明和元年(1764)、この時は注目されなかったようで、尾に変化は起きませんでした。
41年後の文化二年に登場したのがこの狛犬。
尾てい骨から伸びた尾が地面に平行に二股に別れています。
今までになかった形で「尾平別れ」と呼ぶことにしました。
それから4年後の文化六年(1809)になって尾の下がった狛犬が北野天神(文京区春日)に奉納されました。
ここから尾下がり狛犬が造られてゆきます。
石工は小石川柳町の鈴木常三郎保教で、礫川の常三郎と同一人物でしょう。
香取神社の狛犬は顔が失われていますが、北野神社の狛犬の顔が参考になると思われます。(山田敏春)


 →2020.2 狛犬の杜135号「江戸狛犬と地名27」より抜粋