これはどうだ!のおすすめ狛犬
No.105〜 2014.6

手水鉢・鳥居・駒犬〜鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下2)


                      大階段下、今は無き大銀杏前の狛犬
     昭和の初め頃には大階段上の本宮随神門前に置かれていたが、大階段改修に伴い階段下に降ろされたらしい


四代将軍家綱の命により鎌倉鶴岡八幡宮の修造が寛文五年(1665)から八年に掛けて行われ、八月十五日に上・下宮が正遷宮した。
奉行は
松平備前守隆綱で、手水鉢を寄進。
   銘は 「
寄進石盥盤 鶴岡八幡宮廣前 寛文七年丁未十二月(1667)」
そして正遷宮に合わせて
石造大鳥居将軍家綱が寄進。
   銘は 「
寛文八年戊申八月十五日(1668)御再興 鶴岡八幡宮 石雙華表


狛犬は正遷宮が終わった翌月に寄進。
鶴岡八幡宮略年表に「寛文八年(1668)九月、三宅氏ら、石造駒犬一対を寄進す」とある。
仙波東照宮は根来出雲守、日光東照宮は松平正綱と秋元泰朝、久能山東照宮は林丹波守勝正で狛犬の
寄進者はいずれも工事の奉行であったが、鶴岡八幡宮の狛犬寄進も先例に倣ったと思われる。


ちなみに松平隆綱は日光東照宮奥の院の狛犬を寄進した松平正綱の次男の松平正信の別名。
寛政重修諸家譜」で松平正信をみると寛政八年に「八月、さきに鎌倉鶴岡八幡の社、修造のとき、人夫を出し、其事にあづかれる家臣に時服をたまふ」とある。
これは正信の家臣が人夫の手配や工事を監督して褒美を受けたという事を言っている。
では正信はというと、少し前の三月十九日には肥前嶋原藩(長崎県)改易にともなって幕府の上使として赴いていたという。
狛犬を寄進した「
三宅氏ら」とは実際に工事の差配をしていた家臣達だったのかも知れません。



                                (文・山田敏春、写真・阿由葉)