大蔵氷川神社(世田谷区大蔵)の狛犬台座には次なる銘文がある。
「當社者巨寺産土神他曽為?武運長栄 今茲降摩狗二躯堅石造之自而置 廣前以表於報賽之徴志云」
おおよその意味は
「武家の長き栄えを祈願したところその願いが叶ったので狛犬を奉納し感謝の意を表します」
ということだろうか。
そして次の
「弘化2年歳次乙巳季穐日(1845)願主 播磨明石藩 大谷寅七藤原長次敬白」
と読んだところで「まさか」と思ったのです。
明石藩の事情をみてみると、天保11年(1840)に11代将軍徳川家斉の26男で12代将軍家慶の異母弟の松平斉宣(なりこと)が播磨明石藩8代藩主に就任、天保15年(弘化元年)4月に斉宣が病気となり、6月2日、20才で亡くなった。
7月17日、7代藩主松平斉韶(なりつぐ)の長男松平慶憲(よしのり)が播磨明石藩9代藩主に就任。
この明石藩主交代の裏にはこんな言い伝えがある。
8代藩主斉宣(なりつぐ)が参勤交代で尾張藩を通過中、3歳の子供が行列を横切った為に捕え、助命嘆願の願いを無視して切り捨てた…以降尾張藩は通行お断りを以て対処。
後に子の父親の猟師が鉄砲で斉宣を撃ち、仇をとったという。
平成22年にリメークされた映画「十三人の刺客」はこの時期の播磨明石藩を巡っての物語である。
暴君のモデルの松平斉宣が亡くなり、本来成るべきであった藩主が就任したのも事実であり狛犬奉納も事実であるが…まさか?
(写真・文 山田敏春)
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