茨城県古河の頼政神社(錦町9-5)は城主松平信輝が城内にあったものを元禄九年(1696)に修築したもので、元禄九年の銘を持つ狛犬がいる。
弟の高崎城主松平輝貞も同年に灯籠を寄進し、自らも元禄十一年に高崎藩の寺院内に頼政神社を建立したという。
その頼政神社(高崎市宮本町)にも建立年不明の狛犬がいるというので訪ねてみた。
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国道17号線沿いの高台に鎮座する頼政神社は、町はずれ的な場所なので人の気配はなく、車の騒音だけが響く神社である。
右脇の銘版の下半分が埋まっているが
「當所 疋物」
と読める。
左脇の銘板には
「明治三季庚午五月吉日(1870)
當所 石工 小平 組石 仙十郎」
と刻んである。
表情が豊かな狛犬の体には「渦巻紋」がいくつも刻まれて獅子舞の被り物を連想させる。
上州(群馬県)では昔から獅子舞が大変盛んだというが、そんな影響もあるのだろう。
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手水鉢も明治三年に「生糸仲間」が奉納したもの。
狛犬の奉納者も同じ業種の者で、おそらく銘板の「疋物」の下半分は「問屋仲間」と思われる。
ちなみに一疋とは、織物二反を単位とする数えかたであるが、左右一対で一組という意味合いもあるという。
面白いのは明治維新で高崎藩も県名に変わるのだが、この時期は岩鼻県と称していて、群馬県が成立するのは翌明治四年十月二十八日だ。
(写真・文 山田敏春)
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