大鷲(おおとり)神社(足立区花畑)は酉の市発祥の地と言われ「江戸名所図会」には鷲(わし)大明神社と紹介されている。
古くは鶏神社(とりじんじゃ)とも云われ、参道脇の灯籠のレリーフには鶏が彫られている。
近郷農民達が信仰する神社で様々な物が市で売られていた。
なかでも落ち葉などを掃く熊手が、何時しかお金をかき集める縁起物として有名になった。
実は安永五年(1776)に博奕(ばくち)禁止令が出るまでは参道から拝殿前までゴザがしかれ、熊手で散らばった銭を集めるというような状況であったそうな。
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狛犬の奉納者は三山講中ですが、年月日の書き方が面白い。
「壬文化九歳 申正月酉ノ日(1812)」となっている。
この時期の表記としては「文化九 壬申 歳正月」とするのが通例だ。
日の「酉ノ日」は時々見かける表記ですが、十二支の酉の事で月に2回か3回巡ってきます。
因みに今年の正月の酉ノ日は4日、16日、28日でした。
三山講中は出羽三山の「月山・湯殿山・羽黒山」を信仰する人達で五穀豊穣・村内安全を祈願した、石碑ではおなじみだが狛犬の台座で見るのは珍しい。
文化年間初めに尾が下がり出し、いわゆる江戸狛犬の時代になっていくのだが、この狛犬は尾立と尾下がりの中間の「立ち下がり」タイプ。
石工は新五良と源次良。
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神仏混合の江戸時代は神社の管理は寺が行い「何々神社は何々寺持ち」としてその寺を別当寺といった。大鷲神社の別当寺は正覚寺(足立区花畑3-24-27)である。
神社に狛犬は居てもその別当寺に狛犬が居ることはほとんど無いが、正覚寺には狛犬が居る。
銘は
「嘉永二己年酉三月吉日(1849)千住小塚原町 伊勢屋生治郎 當村 加藤金蔵」「世話人加藤庄蔵」
です。
大鳥神社を敬神する地域とあって狛犬の奉納年の干支は酉でこの年を最も御利益のある年としているのだ。
(写真・文 山田敏春)
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