戸越八幡神社(品川区戸越)参道中程に居る狛犬の奉納年銘は
「干時明治六癸酉年十一月吉日再建之(1873)」とあり、灯籠にも同じ銘がある。
何故だろう?
明治元年に神仏分離令が出されて、隣接する行慶寺から分かれた八幡神社が村社となったのが明治6年なので、
それを記念して再建されたのだ。
右の阿像台座に石工名があるが剥離して虫食い状態になっている。
二人の名があるが一人は「鶴見」と「六」の文字から「鶴見 飯嶋吉六」ではないかとされている。
もう一人は「南品川 岸■■三郎」の銘があるという。
南品川と云えば品川神社拝殿前の狛犬を彫った清三郎という石工がいた。
そして左の吽像足座には「彫工 飯嶌幸茂俘辰」の銘がある。
従って、狛犬を彫ったのは「飯嶌幸茂」と云う事になる。
石工飯嶋の家には茂吉(九代目)は居るが幸茂という名は見当たらないそうだ。
銘最後の二文字の「俘辰」は「ふしん」と読むのだろうか?
漢和辞典にもこの言葉はないので、一文字ずつ意味を調べるしかない。
俘(ふ)の字義は「とりこ」で、捕虜であるという。
辰は吉辰の辰で吉日の日と同字義なので、「とりこの日」となるのだろうか?
意味が通らない。
だが辞典の解説に俘は「人+孚」で孚には「手で子供を包むさまを示す」という。
まさに阿像の二匹の子犬を見るとそんなさまなのだ。
(写真 阿由葉 / 文 山田敏春)
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