品川区の下神明天祖神社(二葉1-3-24)の狛犬台座には消防組の歴史が記されている。
要約すると、明治31年12月頃、戸数26に満たない村に火事が起きたのをきっかけに、消火機材の購入と消防隊が組織された。
その後も消防力の向上を図り大正12年3月には公設消防組に昇格、9月の関東大震災では地域の保安と被災民の救護に対応、昭和3年の御大典では沿道警護、昭和4年10月の立会川の洪水では人命救助にあたった。
昭和7年10月の東京市郡併合によって荏原町の解散と共に消防組も消防署の管下に入り機材などの引き渡しが行われ解散した。
狛犬は記念として昭和8年2月に奉納、神社側では区内最大狛犬と銘打っている。
石工銘は「岡崎市 石彫 成瀬大吉作」です。
成瀬大吉は岡崎狛犬(岡崎現代型)を創り出した酒井孫兵衛から直接教えを受けた石工であるが、同時に二宮金次郎像を造り日本全国の学校に建てるべく活動していた。
昭和10年頃からは大宝神社型狛犬(岡崎古代型)も彫っている。
岡崎の狛犬は東京にも沢山居るが岡崎石工の名がある狛犬は当社を含め3対ほどしか見ていない。
貴重だと思う。
なお岡崎では当初三州狛犬と呼んでいたが、今は孫兵衛狛犬と呼んでいる。
因みに日本一をうたっている寒川神社の大狛犬は息子の成瀬昭二の作である。
(文・写真 山田敏春 )
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