狛犬が守る、谷中霊園の備後福山藩十代藩主阿部正桓(まさたけ)の墓所は、大正4年8月嗣子正直(まさなお)に依って建てられた、
正室壽子と継室篤子の墓碑が両側に建つ。
正室の壽子は安政の改革で知られた老中阿部正弘の六女ですが、越前福井藩十七代松平茂昭(もちあき)の養女として嫁いできた。
狛犬は有志19人による奉納だが、青木宇右衛門と酒井八右衛門の名がある。
二人は根津神社と上野東照宮の狛犬の奉納者でもある。
阿部正桓と青木宇右衛門の住まいは本郷区西片町で伊東忠太も住んでいた。
酒井八右衛門は本郷区駒込肴町である。
青木宇右衛門と阿部正桓の関係は;
阿部氏は福山藩江戸中屋敷跡(西片町)を明治になって住宅地として開発し、東京でも有数の土地所有者であったという。
青木氏は23代目であるが三代前から畳職を営み、日露戦争後の明治39年ごろから家屋の建築が盛んになり、西片町に店を移転して大変繁盛したという。
阿部正桓が亡くなったのは大正3年8月で墓の建立は1年後である。
旧幕臣ひいきの酒井八右衛門にすれば阿部正桓は旧幕臣であり、正室壽子は酒井八右衛門の祖酒井栄三がかつて仕えていた福井藩に縁のある人である。
八右衛門は墓所建立の請負額を無視して墓所を造ったと思われます。
なお嗣子の阿部正直は雲の研究家として有名。
(文・写真 山田敏春 )
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