湯島天神の足上げ狛犬は長らく先代扱いでしたが、平成9年12月に台座が新調されて現役復帰しました。
明治の初め頃の写真では銅鳥居の少し後ろの両脇にいました。
明治21年に参道右側の神楽殿が燃えて、右の阿狛犬が背中に火傷を負ってしまいました。
その傷は今でも大きく残っています。
先代扱いだった頃(包丁塚前) |
明治後期の絵葉書〜見にくいが銅鳥居の後ろにいる |
この狛犬と出会ったのは平成9年7月21日の狛犬フィールドワークでしたが、それ以来奉納年や奉納者が気になっていて、訪れる度に狛犬の隅から隅まで見ていました。
「文政寺社書上」という江戸時代の記録集があります。
これは各地区の町名主が地元の寺社を調べて提出したもので、全121冊あります。
国立国会図書館のネットで検索出来ることがわかり調べてみました。
「文政十亥年二月(1827) 湯島天神並并別當取調書」のタイトルがあり、開いていくと
「銅鳥居両脇石獅子 一對」
「文化十二乙亥年七月建立(1815)」
「施主 湯島切通上若者中」「別当喜見院」
との記述が見つかりました。
湯島天神の裏通りが切通坂で、現在の岩崎屋敷辺りが切通町となっていました。
なお、喜見院は廃寺になっています。
そして、かつてあった拝殿前の狛犬についても記述がありました。
「本社前石唐獅子 一封」
「享保十四己酉年十月建立(1729)」
「願主 岩井屋伊兵衛 薩摩庄大夫」と記されています。
これは「江戸名所図会」や広重の「東都三十六景」に描かれている狛犬です。
<拝殿前狛犬の変遷>
拝殿裏手の末社戸隠神社にいる狛犬は「江戸名所図会」の狛犬かとも思われていましたが、昭和45年位までは拝殿前にいたことが狛研・鈴木利昭さんの写真から明らかになっていました。
しかし、その後、狛研・久保田和幸さんの調査により建立年が明治8年5月であることが判明しました。
従って、拝殿前には
(1) 享保14年に「江戸名所図会」の狛犬が建立され
(2) 明治8年に現・戸隠神社の狛犬に代替わりし、その後、昭和45年位まではいた。
(3) その後、空白のままだったが、平成9年12月にこの足上げ狛犬が据えられた。
と言うことになるようです。(この項のみ;阿由葉 記)
この変遷について、こちらも是非ご覧下さい。
(文;山田敏春 /写真;山田・阿由葉)
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