湯島天満宮の裏手には天満宮が勧請される前から鎮座していた地主神の戸隠神社があり狛犬が居ます。
台座に梅鉢紋があるので本来は天満宮に奉納されたものです。
明治初期の絵葉書や昭和53年に出版された「湯島天神誌」の中の写真にも写っている狛犬は江戸期の作だと思われていましたが、狛研の久保田氏より奉納は明治8年だという情報がもたらされましたので、確かめるべく三脚を伸ばして台座裏を撮ってみました。
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銘は
「明治八年五月奉納」
「兵庫懸下 坂上寛忠 京都府下 高畠千畝」です。
奉納者は東京ではなく、なんと兵庫県と京都府の人。
坂上氏の身元は不明ですが、高畠氏は明治の女流歌人高畠式部(たかばたけ・しきぶ)の養子だそうです。
石工は2人のようですが
「本郷元町二丁目 石工三郎□エ」
とだけ読むことが出来ました。 |
因みに奉納月の5月には例大祭があります。
二人がなぜ京都の北野天満宮ではなく、東京の湯島天満宮に狛犬を奉納したのかは不明ですが、大願成就しての狛犬奉納だったのでしょう。
石工の住む本郷元町は、湯島の本(もと)の地で湯島本郷と言いましたが、略して本郷と言っているうちに湯島と本郷は別地名になりました。
家康入国時に御用地になり家臣達の拝領地となりましたが、本郷地区では初期だったので元町と云いました。
拝殿前の狛犬については、前回No.133 の<拝殿前狛犬の変遷>をご参照下さい。
(写真・文;山田敏春 )
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