新宿花園神社、南参道入口の金網入りブロンズ狛犬。
先月「金網が外されている!」との情報を聞き、さっそく訪ねて来ました。
狛研の長老である鈴木利雄さんの「東京の狛犬めぐり」(文芸社)の表紙を飾っているのがこの狛犬。
この頃はまだ金網はありませんでした。
撮影年月はハッキリしませんが、少なくとも昭和の終わり頃までは金網はなかったようです。
歌舞伎町、ゴールデン街に隣接し、「夜な夜な酔っ払いがこの狛犬によじ登って気勢を挙げたとかで、危険防止のために金網をかぶせた」との話もあるようですが、昭和59年に新宿区指定有形文化財になったこともあり、ブロンズなので壊れにくいとも思いますが、保護のため設置されたのでしょう。
「保護のためであれば仕方ないけど…でも、金網の無い姿を見たい!」と言うのが多くの狛犬ファンの気持ちでした。
金網の外された理由、そしてそれが恒久的に外されたものなのかどうかは分かりませんが、狛犬ファンの願いがようやく叶えられました!
金網の無くなった姿、やはり素晴らしいです!阿像の台座には銘板があり、こう記されています。
金網取付の跡
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宿内氏子中晴雨 一千日毎夜観化
発願主 下町 吉田屋善三郎
同 尾張屋林蔵
同 近江屋吉右衛門
助人 下町 若狭屋太兵衛
同 車力甚蔵
世話人 観化銭預リ 島名屋五郎兵衛
彫工 法橋佐脇主馬藤原業朝
鋳工 村田整民(民には王偏が付きます)
石工 四ツ谷本橋市兵衛
文政四辛己二月
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観化とは勧化と同意で「仏の教えを説き、信心を勧めること。」あるいは「僧が仏寺・仏像を造営するため、信者に寄付を勧めて集めること。」とあります。
つまり、「内藤宿の氏子が雨の日も晴れの日も1000日間募金して作った」ということです。
台座には薄れて読み切れませんが、惣町 若者中、そして多数の大口寄附者の名前が刻まれています。
その集まったお金を島名屋五郎兵衛が管理して、彫工 佐脇主馬が原型を作り、鋳工 村田整民が鋳造し
注連縄の台座を石工 本橋市兵衛がつくり、狛犬を据えた。
と言うことのようです。
(写真・文;阿由葉 )
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