悲劇の狛犬
鬼王稲荷神社社頭の狛犬はがっしりとした胸や足腰に小さめの頭部が印象的です。 靖国神社の忠太狛犬の影響が感じられますが、この狛犬には悲しい話があったようです。
阿像の台座には漢文で「石狗記」と題した一文が刻まれています。 読み下しは出来ませんが、おおよその意味は次のようだと思われます。 「当社神職の息子さんは大変登山が好きで富士山に七度も登っている。昭和十五年七月九日単身で登ったが戻って来ず、捜索隊が出て捜したが手がかりは無く行方不明となってしまった。悲しんだ母親は境内の祠や狛犬にお百度参りを行い祷ったといいます。その甲斐あってか上桜沢で遺体を発見、母親の元に戻って来た。悲しい事ではあるが狛犬奉納を以て神霊への感謝とします。昭和十七年四月十八日」 狛犬の奉納理由には人々の様々な願いがありますが、殆どがこれから生きていく為のもので、亡くなってしまった人にまつわる狛犬と言うのは神社の狛犬としては他には類が無いようです。 ご冥福を祷ります。
こちらは、拝殿前の母親が祷った狛犬(明治35年)
(文・山田敏春/写真・阿由葉)