二葉喜太郎はかつてあった「帝釈人車鉄道株式会社」の会社発起人の一人で社長を勤めていた方です。
明治33年に帝釈天参りのお客を見込んで開業した帝釈人車鉄道は、定員6人の客車を人が押して走る鉄道で
金町〜柴又間の約1.2キロを15分ほどで運行、当初は赤字でしたが明治37年からは毎年黒字となり、順調に配当がありました。
営業内容をみると、当然のように乗降客は年に6回ある帝釈天の祭日である庚申の日に集中するという状態で、因みに明治41年1月6日の乗客は11,812人だが翌日は53人というありさまでした。
開業から13年後の大正元年、京成電鉄に譲渡して解散、線路用地はそのまま人車軌道から電気軌道に敷き替えて現在に至っています。
人の力で硬い石を彫って狛犬にする、また人力で鉄道を運行する、大変だと思うが便利な物と言われる物に振り回される現代よりも心引きつけられるものがあります。
(写真・文/山田敏春)
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