秀忠夫人ゆかりの八幡神社
八幡宮(港区麻布台1丁目)
八幡神社(旧名西窪八幡宮)、江戸名所図会にいわく、西窪の鎮守八幡宮は、寛弘年間(1004〜1012)の鎮座なり。 慶長五年(1600)、天下分け目の戦い関ヶ原の一戦の前に二代将軍秀忠夫人於江の方(崇源院殿)より、夫である秀忠の勝利と安全を祈願して、別当寺である普門院(天海僧正の宗派天台宗)の僧秀円が御祈祷修業した。 そのかいあり徳川方の勝利となり秀忠も無事であった。 寛永11年甲戌(1634)2月に社殿が造営されたという。 恐妻の名のみ高い於江の方の夫思いの一面を伝えていて微笑ましい。 なお来年の大河ドラマは於江が主人公である。 そして昭和20年3月(1945)の大空襲により社殿を焼失、狛犬だけがけ残った。 昭和28年(1953)に社殿は再建された。
台座裏に亀山と刻字。「かめやま」と読むのだろうか「きざん」と読むのだろうか。 石工の名前と思われるが下の台石が失われたので詳細は不明である。 江戸狛犬としてはかなりごつい。 顔は大いに派手で、大きな目、大きな口と歯並び、太い胴と力強く立った尾、江戸後期の優しく美しい感じに移行していく江戸狛犬とは正反対の感じがする。 建立年はいつ頃だろうか? 立ち尾の形状が上野の花園稲荷の宝暦3年(1753)建立の狛犬と似ているようだが。
(写真・文/山田敏春)