明智左馬之助の狛犬
世田谷八幡神社(世田谷区宮坂1-26)
世田谷八幡神社拝殿脇の狛犬。 阿像は子犬が二匹、吽像も玉を持ち更に子犬が一匹、だが、その子犬も玉を持っている。 つまり吽像に玉が二つという珍しい構図だ。 二玉にしばし見惚れていたが、台座の銘は「讃岐国善通寺町 明智左馬之助光家後裔 光家耕改友治」 奉納年は大正6年9月(1917)で石新刻とある。
讃岐国善通寺町は現・香川県善通寺市、「光家耕改友治」は「みついえおさむ あらため ともはる」と読むのだろうか。 耕は「つとむ」とも読むが、狛犬奉納は改名記念なのだろうかと銘文をメモしながらアレーッとなった。 「明智左馬之助」という名前に見覚えがあったからだ。 ウソを書くのが嫌いだという作家、加藤廣の本能寺三部作と云われる「信長の棺」「秀吉の枷」そして「明智左馬助の恋」という小説がある。 明智左馬助は明智光秀の娘「倫」の婿であり本能寺では先鋒となって信長を討った武将だ。
通称左馬助。 正式には明智光春といいますが、台座にある明智左馬之助光家が明智左馬助光春に繋がった家系なのか全く別の家系なのか私には調べようがないが、銘を見ながら天正10年(1582)の本能寺の変と、続く山崎の戦いの後、明智左馬助光春と倫が坂本城で感動的なラストを迎える場面に思いが飛んだ一時でした。
(文/山田敏春、写真/阿由葉)