これはどうだ!のおすすめ狛犬
No.64〜 2011.1

おいぬさまの由来

                  亀戸天神社(江東区亀戸3-6-1)




亀戸天神社の「おいぬさま」として知られている狛犬、由来は不明とのことだが、平成11年に江東区教育委員会による文化財調査が行われた時、近所のお年寄りの話に依れば、昔は御嶽神社の横にいて、赤い涎掛けをしてイボ取りの神様とされていた、塩が盛られるようになったのはここ20年位の事だといいます。

昭和50年代始め頃の話と思われますが、昭和57年には大量の塩を盛られた祠の写真があります。

御嶽神社の横にいたという狛犬とは、天保9年(1838)に刊行された東都歳時記「卯の日・亀戸妙義参り」、及び明治期と思われる揚州周延の浮世絵「東都名所・亀戸妙義社」にその答えがありました。

(下図参照)


御嶽社は俗に亀戸妙義社といわれ正月初卯の日は大層な賑わいをみせ、東都歳時記の絵図及び浮世絵では鳥居を潜って石段を登った両脇に狛犬が描かれています。
また大正9年から12年9月1日まで書かれた矢田挿雲の「江戸から東京へ」にも妙義社の記事があり、芸妓たちが早朝開扉前から多数集まり、狛犬に跨るほどの人波であったと書かれていて、狛犬の存在が確認出来ます。


    浮世絵「東都名所・亀戸妙義社」


    東都歳時記「卯の日・亀戸妙義参り」


これらの資料から狛犬は江戸後期に建立され、大正12年の関東大震災で被害を受けたかはわかりませんが、昭和20年の空襲でバラバラになって瓦礫の下になった。
戦後掘り出された狛犬は、継ぎ合わされて、御嶽神社の横に置かれイボ取りの神様とされたが、御嶽神社が昭和51年に再建された後、新たに祠が建てられて塩の犬神さまとなり今は「おいぬさま」となったものと考えられます。 


                                    
(文・写真/山田敏春)