巳待(みまち)講の狛犬
江の島奥津宮(藤沢市江の島1)
江の島の奥津宮前の狛犬は典型的な宝暦顔狛犬だが、阿吽共左足下に玉がある。 双方玉持ち狛犬で古いのは渋谷の金王八幡神社の狛犬で宝暦九年のものがあるが、それに次ぐものと言える。
江の島神社には琵琶を弾く裸体の弁才天と八臂弁才天が祀られているが、八臂弁才天の手には宝珠がある。 これには所願成就の力があると言われているが、狛犬の玉は特に子孫繁栄や蓄財の象徴として持たせたとも考えられる。
銘は 「宝暦十一辛巳七月吉日(1761)」 「江戸 青山講中」 「石工高井藤四郎」と刻まれ 「明治二十六年巳八月(1893)」の年号も刻まれている。 江戸は青山の人達の奉納だが、年回りの巳年から察するに「巳待講」と思われます。
巳待講の石碑は江の島にもあるが、狛犬は珍しく貴重だ。 因みに武江年表に、「宝暦十一辛巳四月十五日より相州江の島岩屋弁財天開帳。江戸より参詣多し」とある。 巳待(みまち)は巳の年、巳の日、巳刻(午後十時)に弁才天を祀って集う行事で、汚れを払い、富、名誉、幸福・子孫繁栄を約すると言われた。 だが、ある時期から弁才天から弁財天となり、巳の縁日に弁財天にお参りすると金運が開けるといい「巳成金(みなりかね)」の護符が飛ぶように売れたという。