鉄 獅
世田谷観音(世田谷区下馬4-9-4)
世田谷観音の門前にいる鉄獅子は何故ここに居るのだろう。
背中には四行の銘文(写真左)があり一行目に「康煕(こうき)辛未年十月 進献(1691)」とあるので、清の康煕帝(1654〜1722)の時代、康煕三十年の未歳に奉納された事がわかる。 銘文中に□氏、朱氏孫、□孫などの字が見えるが、朱氏孫というのは明の開祖朱元璋(しゅげんしょう)に繋がる家系なのだろうかとも思ったが確かめようが無い。 とにかくこの三人が進献者だと思われます。 日本暦では元禄四辛未年にあたり、五代将軍綱吉の御世で「生類憐れみの令」により「お犬様」が人々を苦しめていた。 また湯島聖堂が建てられたのもこの頃である。
中国で最もポピュラーな獅子は天安門獅子だが、それも含めて中国獅子の胸には瓔珞があり鈴が下がっている。 だが観音寺の鉄獅子の胸(写真左)に鈴は無く、天蓋と台座が付いた御札の様なものがある。風化して読めませんが字が刻まれている。 経文だろうか?
日清戦争後、中国獅子を明治天皇に御覧して以来、注目された中国獅子だが、この獅子もそうした事で日本に運ばれたのだろうか。 320年前に中国で鋳造された鉄獅子が、昭和26年に創建された観音寺の門前に運ばれて、いま私達の目の前にいる不思議さを思う。
この世田谷観音の鉄狛犬については、こちら(「鉄の狛犬」大津和弘)もご覧下さい。