館山市正木の八雲神社の狛犬の台座に
「奉献 弘化四丁未年七月吉日(1847)」
「江戸京橋太刀賣 石工藤兵衛
同所住 包吉作 花押」
と銘があります。
石工包吉が太刀賣藤兵衛と最初に仕事をしたのは、
港区麻布にある天現寺の虎で、天保六年(1835)、
次が品川区の諏訪神社の燈籠で天保十四年(1843)、続いて八雲神社の狛犬となります。
注目は「同所住」の一文で、包吉が「太刀賣(京橋南紺屋町)」に住んで居ると名乗ったことです。
つまり江戸石工十三組の八丁堀組内の棟梁でもある太刀賣藤兵衛がこの時期に包吉を自分の後継者と決めて同所に住まわせたとなるわけです。
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