猪〜イノシシ(7) 綿向大神の猪 |
馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社は、欽明天皇6年(545)、綿向山頂に祠を建て天穂日命(あめのほひのみこと)を祀ったことに始まる。 平安時代初期、現在地を里宮として社殿を造営し、中世から近世初期にかけて蒲生氏代々の庇護を受け、江戸時代には日野出身の商人たちの崇敬を集めた。 延喜式神名帳に載る式内社。蒲生上郡の総社。日野の大宮。 |
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綿向神社社殿(右手に猪像がある) |
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猪と綿向神社 社伝によると、欽明天皇6年(545)蒲生野の豪族二人が、綿向山麓に狩りに来ていたが、4月〈新暦の5月)だというのに吹雪となり、岩陰で休んでいるとやがて雪は止んだ。 外に出たところ大きな「猪」の足跡を見つけ、その足跡を追って行くと山頂に導かれ、綿向大神(天穂日命)の化身である白髪の老人から「この山頂に祠を建てて祀れ」とのご託宣があった。 そこで、山頂にご社殿を建てて祀った。 以降、このお宮を、当神社の奥宮として20年毎に社殿を造り替えて(式年遷宮)きた。 このいわれをもって、「猪」が綿向大神のお使いとされている。 |
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神猪像(単体)奉納 平成18年(2006)12月20日
滋賀県蒲生郡日野町村井705 |