狼-3 武藏・奥多摩地方のオオカミ
 
(A) 〜武藏御嶽神社
武蔵・奥多摩地方もお犬さま信仰が盛んだった。
武蔵御嶽神社を「お山」(本山)とする御嶽講は、武蔵(江戸・多摩)や相模に多く
特に、作神様(
さくがみさま)として農業の神ともされた。
日本武尊の伝説も残る。
  
武藏御嶽神社
由緒
 御嶽山は古くより関東の霊山として信仰されてきた。
武蔵御嶽神社の創建は第十代崇神天皇7年(紀元前90年)といわれる。
第十二代景行天皇の御世、祭神の日本武尊が東征のおり難を白狼の先導によって遁れたと伝わる。
また、「武蔵」の国号は、日本武尊が山頂(男具那の峰)に武具を蔵したことによるともいわれる。
その後、山岳信仰の興隆と共に中世関東の修験の一大中心となり、蔵王権現を祀り、鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、江戸時代に入って、徳川家康からは朱印地三十石を寄進された。
江戸時代後期には、眷属の白狼を「大口真神」とする、御嶽神社の「お犬さま信仰」は武蔵・相模を中心に関東一円に広がり、講(御嶽講)も組織され、「大口真神のお札」を戴くための御嶽詣が盛んに行われるようになった。

        東京都青梅市御嶽山176番地、JR青梅線「御嶽」駅下車、バス「滝本」駅下車


日本武尊と御岳山と白狼
『日本武尊が東征の際、この御岳山から西北に進もうとされたとき、深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。尊は山蒜(やまびる)で大鹿を退治したが、そのとき山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。そこへ忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。
尊は白狼に、大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよと仰せられた。』
(武蔵御嶽神社のHPより)

拝殿内の『武尊深山跋渉之図』
 
(たけるのみことしんざんばっしょうのず)

白狼黒狼2匹を従え深山を歩き進む日本武尊



拝殿内
 板絵(縦238cmx横328cm)
 鰭崎英朋(ひれさきえいほう)作
 大正元年(1911)奉納

オオカミ像  武蔵御嶽神社は御嶽講の本山にも拘わらず、秩父地方などの他社にあるような、参道や拝殿前に奉納された対の石造オオカミ像は見当らない。
他社で見られるような、石造のオオカミ像は、先代とも言うべき一体(対の片方?)が玉垣内の築山置かれているだけである。
しかし、他社にはみられない、本殿を守護するブロンズのオオカミ像や、拝殿裏(玉垣内)のこの社特有の「尾立ちお犬さま像」がある。
また、拝殿の中に木彫りのオオカミ像の一対がある。
この社では、これらすべての像を「お犬さま」と呼ぶ。
御嶽神社拝殿


段上左右の狛犬は北村西望氏制作のブロンズ像(昭和60年奉納)
拝殿内の木彫りオオカミ像

拝殿背後にある、本殿登り口の「ブロンズのオオカミ」


一体だけの石造オオカミ像 (拝殿左裏、玉垣内築山)
これは、武蔵御嶽神社境内に以前からあって現存する唯一の石造オオカミ像であるが、対の像ではない。
一体しかない(先代)オオカミ像(対の片方?)の表裏両面を撮影し向かい合わせたもの。
授与品のお札や交通安全のステッカー、絵馬などに用いられているオオカミの原型ではないかと思えるような姿をしている。

玉垣内の尾立ちお犬さま
 拝殿の背後の本殿の周囲(玉垣内)に社祠がいくつかあり、その前に見慣れない像が置かれている。
これらの像は狛犬とも違うが一般的なオオカミ像とも違う。
顔はそれぞれイヌ?、シシ、オオカミ風で、尻尾はいずれの像も、尾立ち狛犬の尾のような造りになっている。この社特有の像である。
社務所ではこれらを「お犬さま」と呼ぶ。
平成19年3月に、摂社大口真神社の前にオオカミ風顔つきでアバラのある像(新像)が、以前からあった2対の像(旧像)に加わった。
この像も尾が立っている。そこで、これら3対を「玉垣内の尾立ちお犬さま」と名付けてまとめた。


新像:大口真神社前 平成19年3月奉納
 旧像1: 常盤堅盤社(旧本殿)前
  寛保3年(1743年)奉納
 旧像2: 神明社前
 結講50周年記念碑 青梅市下長淵御嶽講

日本武尊に因む「男具那ノ峰(奥宮)」と「神代ケヤキ」


日本武尊を祀る奥宮がある峰は、男具那ノ峰(おぐなノみね)、別名甲篭山(かろうやま)と呼ばれている。
男具那(倭男具那-ヤマトオグナ-)は日本武尊の別称(幼名)であり、甲篭山とは日本武尊が東征の際、この山頂に甲冑を納めたという伝説によるもの。


国指定 天然記念物
 御岳の神代欅(ケヤキ)指定書(昭和3年)によると「…日本武尊東征の折此山に登りて甲冑を蔵す。此時已に此欅生ひ茂りてあり。以って神代より存すと言ふ。即ち神代欅の名あり。…」