猿〜サル(3) 富士講・浅間神社の猿 |
富士(山)信仰の神社、浅間神社の神使は猿。
申(さる)の日に富士山が現れたとの故事に由来するなどとされる。 |
浅間神社の浅間(あさま)は広義で火山を意味する。 富士(山)そのものをご神体とする信仰で、古来からの自然信仰(古代祭祀の原型)といえる。 全国の浅間神社の総本宮は、「富士山本宮浅間大社」で祭神は浅間大神(アサマノオオカミ)、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)である。 富士講は江戸時代初頭には長谷川角行によって開かれていたが、その後継者村上光清、食行身禄(ジキギョウミロク)らの献身で、江戸時代中期に盛んになった。 文化・文政になると俗に江戸八百八十講といわれるほど数多くの講が組織され、頻繁に富士登拝が行われ、手軽に登拝できる富士塚も造られた。 申(さる)の日に富士山が現れたとの故事から、「猿」が神使はとされた。 また、単に「山岳そのものをご神体とする神の使いにふさわしい」から(山王の猿として)猿が神使とされたとの説もある。 富士講が盛んになる過程で、江戸時代中期にはすでに庶民の間で身近に信仰されていた山王信仰や庚申信仰、道祖神信仰の影響を受けて、「猿」が富士講の神使とされたともいえよう。 浅間神社の祭日は申(さる)の日で、特に初申祭は例大祭として盛大に行われる。 神使の猿像は、「富士塚や富士山の登り口付近に置かれたもの」と「山頂の社祠の前に置かれたもの」とがあり、前者は合掌して富士山(山頂)を拝む姿、後者は御幣や鈴を持ち社祠を参拝する姿をしている。 |
「富士宮浅間神社記」によると 、第7代孝霊天皇のとき、富士山が大噴火し、荒れ果てた状態が長期に及んでいたが、これを憂いた11代垂仁天皇が山霊を鎮めるために祀った(前27年)のがこの神社の創起とのこと。(静岡県富士宮市宮町1-1)
祭神 、木花之佐久夜毘売命(木花開耶姫命) |
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御幣を担いだ猿が、噴煙のたなびく富士山を |
御幣を担いだ猿が、噴煙のたなびく富士山に |