〜トラ  毘沙門天の虎
毘沙門天に援(助)けられたのが寅年、寅日、寅刻だったので、
これに因んで「虎」が神使としての扱いを受けている。
しかし、毘沙門天の本来の神使は百足(ムカデ)とされる。
毘沙門天(多聞天)と虎

長福院
(福島県石川町沢井)
毘沙門天像
大正3年:小松孝布作

毘沙門天は、元はインド古代神話の神で、ヒンズー教では宝石の神。
仏教に帰依してからは、仏法を守護する
四天王および十二天の一尊で、北方を守護する武神
また、毘沙門天は、仏が説法する道場に常に居て説法を聴くことから、「
多聞天」の名も持つ。
四天王の一将として祀られる時は「多聞天」、単独で一尊だけ祀られる時は「毘沙門天」と呼ばれる。

日本で最初に毘沙門天が現れたとされる信貴山朝護孫子寺や鞍馬寺の縁起には、「毘沙門天に援(助)けられたのが、寅年、寅日、寅刻だった」とある。
これに因んで、
虎像が境内に置かれ、毘沙門天の神使として扱われている。
しかし、
本来の神使は百足(ムカデ)だともされる。

毘沙門天は、戦勝の武神、開運出世の神として、武将の強い信仰を得た。
上杉謙信が「毘」を旗印にするほど毘沙門天を信仰したのは有名である。
また、財宝金銭授与、商売繁盛の功徳があるともされた。
福の神として七福神に仲間入りした。

以下に例示した寺社はいずれも毘沙門天を祀り、境内には神使の虎像がおかれている。

  
信貴山 朝護孫子寺

参道の虎像

参 道

信貴山朝護孫子寺は、全国の毘沙門天を祀る社の総本山とされる。「縁起」の概要は以下のとおり。
聖徳太子が、朝敵物部守屋を討伐しようとこの山に来て、戦勝の祈願をすると、天空遙かに毘沙門天が出現して、必勝の秘法を授けてくれた。
その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であった。
聖徳太子は、そのご加護で敵を滅ぼすことが出来た。用命天皇2年(587)。
世が治まって後、聖徳太子自ら、毘沙門天の尊像を刻み、伽藍を創建して、信ずべき山尊ぶべき山「信貴山」と名づけた。
延喜2年(902)、醍醐天皇から病気快癒に謝して、「朝護孫子寺」の勅号が贈られた。
以来、信貴山の毘沙門天は虎に縁のある神として信仰されている。
参道の随所に虎像が見られるが対になったものはない

奈良県生駒郡平群町信貴山2260-1
近鉄生駒線信貴山下駅−バス信貴山、歩10分

鞍馬寺〜鞍馬蓋寺
鑑真和上の高弟・鑑禎上人が霊夢で白馬に導かれてれて鞍馬山に登り、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられた。
それが寅の月、寅の日、寅の刻だった。そこで鑑禎上人は草庵を結び、毘沙門天を祀った。
これが鞍馬寺の開創である(宝亀元年−770)。
そのため「寅」に因んで、鞍馬寺の仁王門や本殿金堂の前には、神使として、対の虎像がある。
なお、鞍馬山は古くから修験の山として、天狗や牛若丸(源義経)などでも有名である。

本殿金堂前(青銅製) 昭和26年(1951)

仁王門前 大正2年(1913)

京都市左京区鞍馬本町1074
叡山電鉄鞍馬駅下車、歩2分

神楽坂・善国寺
 建立年   嘉永元年(1848 〜 伝聞)
 石 工   彫工 鈴木喜三郎保教
 石工 平田四郎右衛門 柳沢長右衛門
 奉 納   檀家中、他世話人多数記載あり

※ 参考〜久美子の狛犬散歩15「神楽坂界隈・その2」 

東京都新宿区神楽坂5-36
JR中央線飯田橋駅下車10分