〜ウシ(2)  菅原道真の牛 - 1
道真の誕生日、死去日が丑(うし)の日だった。
     また、墓所は遺言で牛車の止まった所に定められた。
          菅原道真の神使は「牛」。
               天満宮、天神さまには撫で牛や彫像の牛も多い。
菅原道真と牛
下記のようなさまざまな言い伝えがあり、これらの伝承から、「牛」が神使とされた。
a)道真公の誕生日・承和12年6月25日(845年)や、死去日・延喜3年2月25日(903年)が
  丑の日だった。
b)道真公が大宰府に落ちてゆく途中で命を狙われた時、白牛に助けられた。
c)「車を牛に引かせて、牛の行くままに任せ、牛の止まった所に葬ってくれ」との道真公の遺言
  に従って墓所(大宰府天満宮)は定められた。

菅原道真について
1)大宰府天満宮
学問をもって朝廷に仕える菅原家に生まれ(845)、幼少より天才を発揮し、宇多天皇の厚い信任のもと55歳(897)で右大臣にまで登った。
宇多天皇が退位し、醍醐天皇の時代になって、道真は左大臣 藤原時平に無実の罪を着せられて、大宰府に左遷される(901)。
東風(こち)吹かば思いおこせよ梅の花 主(あるじ)無しとて春な忘れそ」道真は、軟禁状態の中で、失意のもと大宰府で死去(903)。
墓所は大宰府天満宮。
2)北野天満宮…雷神(天神)・怨霊伝説


北野天満宮 重文 三光門
道真の死後、都では道真を大宰府へ追いやった藤原時平本人が39歳の若さで死去(909)したのをはじめ、次々に時平の縁者が亡くなった。
「これらは道真公の崇りだ」との噂が広がり、崇りを恐れた醍醐天皇は、道真を右大臣に戻すが収まらず、清涼殿の内裏への落雷で多数の死者がでて、このショックで病に倒れてすぐ世を去る。人々は「道真公は雷神(=天神)になった」と噂した。
後の平将門の乱、藤原純友の乱も道真の怨霊のせいだとされた。その後、永延元年(974)に一条天皇が道真の怨霊を鎮めるため、勅命で菅原道真を祀った北野祭が、現在の北野天満宮(京都市上京区馬喰町)である。
現在では、菅原道真は天神様と呼ばれ、学問の神様として祀られ、合格祈願に参拝する人も多い。

北野天満宮(祭神:菅原道真)
道真の怨霊を鎮めるために建てられた宮である。
牛像は参道の左右に並ぶが、対の牛像は一対だけで、これも「撫で牛」ともいえる。
いずれの牛像も拝殿に向けて置かれていて、腹這い状態で立ち上がる気配はない。

建立データ;未調査

参道にずらりと並んだ「撫で牛」
京都市上京区馬喰町
京都市バス・北野天満宮前