円 丈 語 録
   「狛犬の杜」2025年163号より/一部補追アリ

■もし、私がパーティーを開いたら出席者は人間より狛犬の方が多いはず。
とにかく狛犬は友達。
■狛犬の見方〜見る時はただ見る。これが石で作ったもんだとか、余計な先入観を一切捨ててみる。それでないと狛犬と友達になれない。
■日本人なら一頭や二頭の狛犬の友達を作っておきましょう!

■西叶神社の玉垣狛犬〜思わず連れて帰りたくなった。
頭を撫でて「おいで!」なんて言うと「うん!」と返事してチョコチョコとあとからついてきそうな、そんな狛犬だった。
■素鵞神社の江戸はじめ〜三百年の風雪に耐え、チョコンといる風情が、たまらなくいい。
こう言う狛犬に出会うと2、3日は幸せな気分になれる。

(以上1999年【NEC デバイステクノロジー】より)

狛犬巡り…私としては、歩くのが最高だとおもいます。
確かに車やバイクは便利ですが、それは大相撲と大相撲ダイジェストの違いだと思います。
狛犬巡りをまるまる楽しむならやはり歩くのが一番です。
(1998年の手紙より)
鳥居、いいですねえ。感動します。狛犬が一番。二番が鳥居です。
狛犬と鳥居は、感動の種類が違います。
狛犬の場合は少し奇妙な友達との出会いとでも言うんでしょうか。
そこから発生する感動のような気がします。
で鳥居の感動は、もっと即物的で直接的です。
ただ、大きい!わあとか、こんな造り方してるんだとか…子供のような感動です。
それに密かな楽しみは、太い鳥居があったら抱き着く。
うれしい。
これで両手がつかない時は、わあ、デッカイ!と感動する。
鳥居の楽しみ方は子供に返ること。
これがコツです。
(狛研例会にて)
佐吉を名工とは認めますが、彼は「石工のゴッホ」だと思います。
かれは、心の石工です。
あの目からどれだけ佐吉の心を汲み取るかでしょう。
ですからかれをまるで左甚五郎(実はかれは、実在ではなかった!)のように神聖化はしません。
(1998年円丈の奈良行報告FDより)

■狛犬を建立しないと私の狛犬好きは完結しない。
狛犬が好きで神社に見に行っていた者の最後。それは自分で建立するしかない!!
そして結論、「狛犬は建立するコトと見つけたり」
■狛犬は古臭いなんて思ってたら大間違い。未来へのメッセ−ジなんだ。
私は狛犬を見る時、誰が彫り、誰が建立したのか、を必ず確認をする。
200年経った時、私のような狛犬好きがが現れて「円丈?石工八柳?石定?ふ〜〜ん!」と調べるとすれば、メッセ−ジは200年後に届いたことになる。
果たして200年後にそんな奴が現れるのか?
それは200年後のお楽しみだね。
(以上円丈/狛研HPより)

あの調子で参道狛犬研究会の新聞を作って頂けないものかと思い筆をとりました。
あくまでもカルーイ提案です。私自身人から強制されるのが大嫌いですので他人にも強制したくありません。
引き受けるのもことわるのもカルーイ気持ちでしてください。
こんなことでせっかく知り合えた阿由葉さんと疎遠になるのはバカみたいな話ですからね。
(1998年の手紙より)
この頃狛犬を見た瞬間に分類していまいます。『江戸くずし!』とか、しかし、これがいけないのです。
分類した瞬間に納得してしまい、結局、狛犬を見ていないのです。
いかにも自分は見ているように言いながら、自分も狛犬を見ていなかった。
ただ分類していただけなんです。
狛犬の前にまず立ち、まず見る。考えずに見る。それが必要なのですが…。
分かっていて、なかなかできないのが狛犬です。
(1996年の手紙より)

いつかこの狛研にも終りが来るでしょう。
でも狛研の残した財産としてこの「狛犬の杜」新聞が永遠に残ります。
人も組織も後に何を残すかです。すべては円丈の考えた通りになりました。
ムヒヒヒッ!
(100号記念原稿より)

狛犬がいいとその石工のファンになる。
狛犬の向こうに石工が見えてくる。
コイツはどうゆうつもりで彫ったのか…時代を超えてこの石工と飲んでみたい…
と思ってしまう。
(2014年 NHKラジオ深夜便より)